| 十一周年を迎えたアサザプロジェクト | |
| 霞ヶ浦・北浦の可能性探しの旅の中から生まれたアサザプロジェクトも十一周年を迎えることができました。この十一年は長かったのか短かったのか。正直言って、今のわたしには、これまでの日々が過ぎ去ったという感覚がありません。過去は振り返らずとも、歴史を編むまでもなく、今ここに在ると感じるからです。 「今降るも宿は昔の時雨かな」世阿弥の娘婿にあたる金春禅竹の作による能「定家」の中で繰り返し謡われる一節です。最近になってわたしは不思議な時間感覚を持つようになりました。直線的に流れる時間ではなく、幾重にも層を成し対流する時間という感覚です。 「確かに、巷には百年後の破滅的状況を予測する暗澹たる未来図があふれている。しかし、未来は決して向こうから押し寄せてくるものではない。われわれが展望を持って地道に築き上げていくものだ。未来は、今のわたしたちの生き方そのものの中にあるのだから。」かつて、わたしは「よみがえれアサザ咲く水辺」という本の中でこのように述べました。でも、今はもっと豊かな感覚で時間というものを表現できそうな気がします。このように、わたし自身を「直線的で無機的な時間」から「重層的で有機的な時間」へと導いてくれたもの、それは、アサザプロジェクトに他なりません。 もし、わたしたちが線状の時間の上を流れゆく存在だとしたら、予測される確率的な未来に怯え続けるしかありません。そうなると、わたしたちには破滅や危機への到達を遅らせるか、僅かな方向修正を試みるか、最後は未来を見ないようにするしかないからです。このような時間感覚は、現代人の生き方に深い影を落としているように思います。 世阿弥は「年々去来の花」という言葉を六百年前に残しています。「年々去り来たる花」とは、幼年期から老年期まで人生のそれぞれの時期に自然にそなわった花を積み重ね、今の自分に活かすという意味です。しかし、直線的な時間を生きる現代人には、人生は子どもから大人へと過ぎ去る過程に過ぎません。真の豊かさを取り戻すために、ひとりひとりに必要なものは、幾重にも層を成し対流する時間ではないでしょうか。わたしは「子どもと大人の協働」という言葉を最近よく講演などで紹介します。子どもと大人の協働(対流)は、ひとりひとりの中にも、社会の中にも不可欠だと思うのです。 ひとりひとりの中に、社会の中に、豊かな時間と空間を取り戻すことができなければ、自然との共存は実現しないでしょう。アサザプロジェクトには毎年一万人を越える子ども達が事業の推進役として参画しています。子ども達の感性が社会に流れ込み、対流を生み出し、大人達がバラバラにしてしまった世界を再び結び付け始めています。 アサザプロジェクトは十一周年を迎えましたが、百年計画は今年でまだ五年に過ぎません。本当に始まったばかりです。しかし、静かに深く、そして広く、何かが起こり始めたという実感が、今のわたしにはあります。個々の人格が機能するネットワーク。層を成した時間に対流が生じ、様々な渦が現れ始め、やがて、それら無数の渦が有機交流電燈となって、満天の星のように瞬く様を想像します。何百光年何千光年の星々と共に。 これまでアサザプロジェクトを支えて頂いた多くの方々に、ここに心からの感謝の言葉を申し上げます。 2006年2月2日 NPO法人アサザ基金 代表理事 飯島 博 |
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