物を開き、事を始める 〜世界の可能性に目を開こう〜 2003.12.25

 牛久沼のほとりで独自の画境を築いた日本画家小川芋銭には、桃花源図という絵が何枚かある。小川芋銭の絵には「俺はこんな絵が描けるんだ。すごいだろう」という「おどし」が全くない。だから、好きだ。桃花源図は桃源郷を描いたものだが、小さな農村のごくありふれた平和な日常がただ描かれている。牛久沼に遊ぶ河童の姿を見ることができた芋銭のことだから、きっと日常の中にふと桃源郷を見ることがあったのだろう。
 芋銭の桃花源図は、4世紀の中国の詩人陶淵明の詩に着想を得たものだ。陶淵明は自然の中で暮らすことを理想とした詩人で、「帰りなんいざ、田園まさにあれなんとす」という有名な句がある。実は、中学生の頃から杜甫や陶淵明などの漢詩の世界が好きで、友人に「老成しているな」とよく言われた。昔の漢詩や水墨画の描く風景は、どれも広大な自然の中に人物がぽつんと小さく描かれている。当時は公害のひどい時代だったので、大きな自然に包まれて生きる人間の姿に強く惹かれたのだろう。
 現代は様々な「おどし」に満ちた社会だ。はったりや自己顕示、自己中心主義等々。個人レベルでも国レベルでも「おどし」が当たり前になっている。かつてイラクにはエデンの園のモデルになった美しい水郷地帯があったという。最近、その湿原の民と言われた先住民が湿原を再生させようと動き出した、という話を耳にした。しかし、まだ戦争は続いている。私には、圧倒的な「おどし」によって真の平和が実現するとは思えない。「おどし」を正当化する人たちは「仕方がない、これが現実だ」と言う。しかし、今こそ、新たな可能性を見出す時だ。
 子どもの頃に見た一枚の絵をよく思い出す。それは、家の床の間にあった掛け軸の水墨画(おそらく複製)で、その絵をじっと見ていると、墨一色で描かれた絵なのにだんだん木々の緑や水の色、空や岩の色など、様々な色が見えてくるのが不思議でならなかった。
 最近、岡倉天心の著書を読んでいてある言葉に目を奪われた。それは「物を開き、事を創める」という紀元前の中国の言葉だ。墨の黒はすべての色を含むという。その黒という色を開き、様々な色彩を生み出し自然と調和した世界を創造する画家の感性に通じる言葉だが、それは水墨画の世界だけではないと思う。私にとっては霞ヶ浦に自生するアサザから発想を得て、アサザプロジェクトという新たな社会の構築に向けた取り組みが創まった。そして、アサザプロジェクトが描く世界は今も広がり続けている。私達の日常の中には、まだ開くことができる物が無数にあるからだ。何の「おどし」も無いありふれた物の中にこそ、大きな可能性が眠っている。それらを開く鍵を持っているのは、私達生活者に他ならない。決して権威者や権力者ではない。
 破壊や暴力に被われて色彩を失いかけていた世界に、再び豊かな色彩を取り戻すことができるかも知れない。私は、アサザプロジェクトの広がりを支える原動力は、自然と調和した平和な世界への人々のあこがれだと感じている。桃源郷は私達の心の奥深くに今もひっそりとあるのだ。芋銭の描いた桃源郷からは今日も人々の笑い声が聞こえてくる。

2003年12月25日 NPO法人アサザ基金 代表理事  飯島 博

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