| みずうみの曼陀羅(マンダラ)〜ネットワークはおもしろい! | 2005.4.1 |
| 旅先から戻り霞ヶ浦を見ると心の窓が開け放たれた気分になる。真っ平らである。地平線に湖面も陸地も吸い込ま
れていく様な風景がある。なにか捉え所の無い広大な世界に放り出されたような感じがすると同時に、湖の全体を捉えたい、丸
ごと感じ取りたいという想いがわき上がってくる。最近宇宙開発と連携した事業を始めたが、そこにも宇宙からの視点で流域と
いう空間全体を日常化したいという想いがある。
生態系に中心は無い。そして、今世界は中心の無いネットワーク「インターネット」で被われている。アサザプロ ジェクトは中心に組織の無いネットワークで社会を被い自然と共存する循環型社会の構築を目指している。ネットワークの中心 にあるのは霞ヶ浦である。そして霞ヶ浦に映し出されるのは流域の社会全体である。 このような話をすると、「マンダラのようですね」と言われことがある。マンダラは古代インド人が考えた壮大な 世界観宇宙観を図式化したもので、わが国には弘法大師空海が密教の教典と共に伝えた。マンダラの中央には大日如来が位置し ている。しかし、この大日如来は世界全体を表現したものであり場所や時間に限定される存在ではない。私達が普通考える中心 とはかなり違う。私はマンダラもある意味でネットワークだと思う。 仏典には「帝網(たいもう)」という言葉があるという。帝網とは帝釈天(たいしゃくてん)の宮殿に張りめぐらされ た網(ネットワーク)で、縦横に張られた網と網の結び目には宝玉が付いている。ひとつひとつの宝玉には他の無数の宝玉が映 り、その無数の宝玉を映す宝玉もまた他の宝玉に映し出される。これは昔の人達が考えた世界(宇宙や自然)と一体化したネッ トワーク型社会ではないか。彼らは部分と全体が不可分の世界、すべてが結び付いた世界を想像したのだ。 科学の進歩はめざましい。しかし、生態系や人体の全体としての秩序や調和を生み出す仕組みは解明されていない 。科学はひとつひとつの要素に切り分けて分析することは得意だが、たくさんの要素を総合化し組み立てることは苦手だ。その 影響は科学に依存した社会全体にも見られる。個々の要素に細分化され、それぞれが自己完結した縦割り社会は、自然や人間が 本来有する多様な結び付きを分断し、その結果自然破壊やコミュニティの崩壊などの現象を生み出している。 自然の中では縦割りも自己完結も無い。自然との共存を目指す社会ではあらゆる分野での結び直しが求められている。だが、 どのようにして多様なものを結び付け総合化するのか。まだ科学にその手法は無い。私はここで問題提起をしたい。そもそも、 総合化することを生身の人間から切り離して科学や技術の問題として扱うべきなのか。本来総合化とは科学的な手法に全てを委 ねて行うものでも、また、はじめから共同作業によって行うものでもないのではないか。20世紀の技術が失ったもの。それは 人格である。 総合化はひとりひとりの人間の中で、とりわけ人格を形成するプロセス(様々な出会い)の中で起きるのではない か。私は仏典に描かれた帝網と宝玉を連想する。人格こそが総合化の場ではないのか。個々の人格が機能するネットワーク型社 会から総合化への道が展望できるかもしれない。これは科学の否定ではない。私は21世紀は科学知と生活知(経験知)の協働 の時代と捉えているからだ。むしろ、新しい次元から総合化を考え未来の科学の可能性を見ようとしているのだ。ネットワーク はおもしろい! |
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| 2005年4月13日 NPO法人アサザ基金 代表理事 飯島 博 | |