| 様式として溶け込む〜新鮮な衝撃 2007年7月31日 | |
| 見るたびに新鮮な衝撃を受けるブロンズ像がある。19世紀を代表する彫刻家ロダンの「青銅時代」である。この作品をロダンが発表した当時、パリでは大きな物議を醸したという。この作品がそれまでの彫刻の様式を一変させるものだったからだ。ギリシア以来の伝統である神話を題材とした理想化された人間像はそこには無い。生身の人間を感じさせる青年の裸体像があった。当時は「実際の人体を型取りしたのではないか」という疑いがかけられたという。現実的で日常的な生身の人間を感じたことで、伝統的な彫刻を見慣れてきた人々は大きな衝撃を受けたという。 わたしはこのブロンズ像の前に立つたびに、「新しい様式」が誕生した場に立ち会っているような気分になる。この彫刻は、ひとつの出来事であり続けている。 半年近く前に、栃木県で行われた足尾鉱毒事件に関するシンポジウムに参加した。谷中村が鉱毒事件によって強制廃村されてから百年になることを記念する催しのひとつであった。この時に、一緒に講演をした田中正造研究の第一人者である布川了さんのお話を聞いていて、はっと気付かされることがあった。それは、わたしが以前から気になっていた田中正造の言葉についてであった。田中正造は臨終の床で同志たちに次のような言葉を残している。「皆さんのは正造への同情で、問題への同情ではない。問題から言う時にはここも敵地だ。」 「ここも敵地だ」という言葉はわたしに深い衝撃を与え続けてきたが、その真意が十分に飲み込めずにいた。しかし、この時に、ふとひらめいた。これは中心を否定する強い意志の表れではないか。中心とは田中正造という理想化された人格である。普通はその人の人格を理想化し、その思想を伝えようとする。しかし、田中正造は違う道を選んだのではないか。かれは生身の人間として生き続けた自分を「場」として残そうとしたのだ。 布川さんの講演の内容は、日本の近代化の流れの中で足尾鉱毒事件や田中正造を捉えるスケールの大きなものだった。田中正造は大規模な公害や世界大戦を引き起こす近代化とは別の近代化を模索し続けた。その模索を続ける場を、かれは残そうとしたのだ。かれの「場」はひとつの様式として今も在り続け、いつか別の近代化を実現させるだろう。 世界は大きな変革期を迎えている。中心の無いネットワークによって世界は覆われつつある。分散した多様な個による社会が生まれつつある。ピラミッド型社会を作り上げてきた近代化の文脈が崩れ始めているのだ。社会の大きな変化を受けて、どこでも仕組みや制度の見直しが論じられている。しかし、わたしは個々の仕組みや制度の見直しでは、今起きている変化には対応できないと思う。環境問題がその典型だ。小手先の個別技術や対策の寄せ集めでは、今日の地球規模の環境問題は解決できない。自然を意識して全体をつなぐ何かが必要だ。それは、仕組みや制度ではなく、もっと広がりのある様式である。 では、様式はどこから生まれるのだろうか。それは、思想や理念からではないと思う。それはネットワークの中から生まれるに違いない。個々の人格が場として機能するネットワークの中で、多様なモノがひとりひとりの中で出会うことで生まれる様式である。ネットワークも、ひとつの思想や理念によって広がるのではない。ネットワークは人々が日々様々なモノのやり取りを通して、いま目の前にあるモノ自体から意味や価値を生み出すことができた時に、その意味や価値の連鎖として広がっていくものだ。モノは出来事になるのだ。21世紀のビジネスはこのように進化してほしい。 多様性の時代には、「否定をしない強さ」が求められる。たとえどんなに立派な思想や理念を持っていても、目の前にあるモノから新しい意味や価値を生み出すことが出来なければ、意味がない。モノが持っている世界は、思想や理念よりも圧倒的に広い。だから、思想や理念では、中心の無いネットワークは広がらない。思想も理念も進化を求められているのだ。 「中心の無いネットワーク」という言葉はある種の衝撃を持って、社会に受け止められている。それはアサザプロジェクトが新鮮さを失わない理由かもしれない。アサザプロジェクトの思想や理念はとよく聞かれるが、今動いているネットワークがそれらを生成しつつある現場であり、その動きを固定して静止画として見せても実相を伝えることができない。しかし、個々の人格が場として機能するネットワークの中では、多様なモノが出会う動きの中で、人々は動くものを動くものとして見ることができるようになるだろう。世界を静的にではなく、動的に捉える様式の始まりである。 仕組みや制度は相手に受け入れさせることで広がる。相手を取り込むための戦略ツールでもある。様式は、相手を取り込むことでは広がらない。様式としてすべてのものに溶け込むことが出来たときに、はじめて生まれてくる。わたしたちは環境の時代の様式が生成する場を、今作りつつある。 |
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| NPO法人アサザ基金 代表理事 飯島 博 |