大地が笑う時〜境界線を溶かす        2007年11月1日

 北海道の十勝平野の東に位置する浦幌町に行ってきた。目的は農林水産省が進める農村地域での教育プログラム実践モデルの視察であった。私は昨年からこのプログラムの策定委員になっていたことから、モデル地域に実際に行って見て、今後の課題を検討することになった。事業のねらいは、農村地域の未来の担い手、後継者の育成である。
 秋の十勝平野の遠くには、地平線が細かく波立つように、山脈が幾重もの青の階調となってトレモロを奏でていた。この繊細な風景は、秋田県の八郎湖から望む山並みにどこか似ているが、ここで見る山並みは遥かに長い。私は車窓から遠い山並みを眺めながら、アイヌ伝承の叙事詩ユーカラを想起していた。帯広空港から1時間ほど車で移動して、浦幌町に到着した。浦幌町は人口約6000人の純農村地域で、白糠丘陵を覆う森林と台地上の広大な農地、さらに太平洋に面した海岸地域には原生花園がある。主な農産物はジャガイモやビート(砂糖大根)である。漁港もあり、シシャモやサケ等の漁業が行われている。
 浦幌町に到着すると、浦幌中学校の3年生40名が出迎えてくれた。この日は生徒たちが、私を含めて3名の委員に浦幌町の案内をすることになっていた。生徒たちが町の魅力を知ってもらうために選んだ7カ所をバスで回りながら、説明を受けた。どの生徒も温かな人柄で、私の質問にも一生懸命に答えてくれた。移動中も車中で、誰々さんの牧場とか、畑とか言って教えてくれた。中でも、最後に訪れた丘陵地にある幾千世牧場から見た風景は絶景だった。たてがみを靡かせながら、牧草地の斜面を駆け上がってくる黒褐色の道産子(馬)たちの背後に、赤や黄に色づいた樹林帯、その先に見える広大な耕地、その中を蛇行しなが銀色に光る幾筋もの川、長い砂丘地帯、そして奥に光る大海原へと一気に風景が展開する。その風景の中に、誇らしげな表情で案内をする生徒たちがいた。
 二日目は、浦幌中学校で生徒達に町を案内してもらった感想を含め私達が授業をすることになった。私は生徒たちに、土地のすべてが繋がっている感覚の大切さについて話をした。生徒たちには案内をしてくれたそれぞれの場所を結び付け、繋げる何かを見つけようとしてほしい。それは、自分と自分を取り巻く世界が一体であるという感覚を取り戻すことでもあるからだ。そこから見えて来るものが必ずある。
 そのためには、与えられた問いに上手く答えを出すことよりも、自分で世界と向き合い自分で問いをたてる生き方が求められる。それは、すぐには言葉に出来ないものや、説明出来ない何かを自分の中に抱え込み、それらとの対話を続けていくことでもある。なぜなら、ありのままの世界は複雑で混沌としていて、簡単に言葉にすることも説明することも出来ないからだ。世界が説明できないほどの広がりと深さを持っていることに気付くことが、自分と世界、世界のすべてを繋がりのあるものとして感じる直感の源泉となる。
 「言葉にする」ということは、ある意味で世界の複雑さや混沌(カオス)が持つ豊かさを切り捨てることでもある。だから詩人や歌人は、常に言葉と世界との接触を試みようとしてきたのではないか。それは忘れられた豊穣の世界へのあこがれでもある。
 「風になびく 富士のけぶりの 空に消えて 行へもしらぬ わが思ひかな」これは、西行が富士の山を詠んだ有名な和歌だ。この歌には動きがある。西行と富士がひとつに溶け合い、すべてがどこまでも青い空に溶け込んでいく感覚である。私はこのような歌や詩に、世界を覆う境界や壁を溶かしてしまう底力を感じる。
 私達をめぐる世界は、境界線や分割線によって覆い尽くされている。それぞれの線には、何かを区分けする明確な言葉や説明が付いていて、人々を理解させ納得させる力を持っている。しかし一方で、私達は説明的であればあるほど、世界の全体性を見失ってしまうのだ。そして、いつの間にか世界と自分との一体感をも見失ってしまう。いや、見失ったことにさえ多くの人は気付いていない。実は、私は中学生になる少し前から、そのような漠然とした喪失感に襲われ始めた。その時から、胸の奥からわき上がる「或る感覚」を思い出そう、取り戻そうとする作業が心の中で始まった。子ども時代の自分は、今も「言葉に出来ない世界」と「言葉」の間で口ごもり立ちすくんでいる。
 浦幌中学校の生徒たちは、私の発した唐突な問いに戸惑っている様子だった。そこで、私は黒板に霞ヶ浦の河童と八郎潟の竜の絵を描いた。「それでは、浦幌には何がいるの」と聞いてみた。すぐに、教室中がざわつき始めた。グループに分かれて活発な話し合いが行われたが、この日は誰も見つけることができなかった。しかし、生徒たちの心の中には、ひとつの問いが投げ込まれた。それは、自分で問いをたてなければ解けない問いだ。河童や竜は、説明も分類も出来ない存在だ。これらが生きている物語の世界も、また境界線や分割線を溶かす力を持っている。ここでは、どんな物語が生まれるのだろうか。
その土地を覆う境界線や分割線を溶かしてしまうことが出来たときに、その土地の表情が生き生きと蘇る。そして、そこに生きるものたちの姿も。大地が笑う時に、世界は再び胸の奥からわき上がるような豊穣を取り戻すにちがいない。パレスチナの地にもいつか。
NPO法人アサザ基金  代表理事  飯島 博

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