| 遠近法からの解放〜欲望をデザインする 2008年4月7日 | |
| 絶え間なく躍動し複雑なリズムを刻んでいた湖面が、ある日すべての動きを止め静止する。動から静へと世界は一変する。湖は運動に満ちあふれた表情を失う。しかし、湖に眠る天地のエネルギーが証される刻がやがて訪れる。その刻を、土地の人々は青白い頬をした山々と共に、何千年もの間繰り返し厳冬の夜の暗闇の中で待ち続けてきた。寒気が静寂を支配する夜のしじまを突き破るようにして、突然の轟音と共にそれは現れるという。 その刻は、今年も数年ぶりに訪れた。幸運にも、わたしは生まれて初めて諏訪湖の御神渡りを目にすることが出来た。湖を横切るように、氷がぶつかり合い盛り上がってできた氷列が、巨大な蛇か竜のようにうねりながら対岸に向かって続いていた。太古の人々にとっては大地のシンボルであった大蛇や竜が、ある日不動の静寂を打ち破り姿を現す。それは、大地のエネルギーがあらわになる刻である。 ニュートンは物体の運動の中にエネルギーを見たが(E=1/2mv2)、アインシュタインは物体そのものの中にエネルギーを見た(E=mc2)。古代の人々も、すべてのモノの中に計り知れないエネルギーが秘められていることを直感していた。だから、人々は氷上に刻まれた大地のエネルギーを読み取り記録し続けてきたのだ。諏訪湖にはもうひとつ御柱祭という不思議な祭りがある。この野性味あふれる祭りの起源については、中世から様々な説があるが明らかではない。樅の巨木を森から伐り出し、曳いて運び、大地に突き立てる。ただそれだけのことに、人々は太古から熱狂し続けてきた。これもまた、秘められたエネルギーの解放ではないか。天地と人がひとつになって、エネルギーを解放する場が祭りである。それは、人々が天地に向かって自分を思いきり開くことでもある。 この間、酒井抱一という光琳や宗達の流れをくむ画家の絵を見た。野鳥や虫や草花が金箔で被われた地の上に表情豊かに描かれている。線や色彩が新鮮だ。奥行きを表現する遠近法は使われていない。視点は拘束されない。その絵を前にして、わたしは何とも言えない開放感を覚えた。ふと、それは遠近法からの解放ではないかと思った。近くから遠くへと幾何学的に構成された空間の中に、人物や物を合理的にはめ込んでいく遠近法絵画はヨーロッパで発達した。それは、ある不動の一点から眺められた世界の姿である。すべてのモノが理性によって構成された秩序ある空間の中に、おとなしく据えられていく。これはある種、管理された空間であり、閉じられた世界ではないか。 酒井抱一の絵は、開かれている。世界に対して、そして欲望に対して、開かれていると感じた。花や鳥を描くために金箔の地の上に置かれた線や色彩は、そのまま露わになった欲望、つまり解放された生のエネルギーである。新鮮な欲望。これは「欲望のデザイン」ではないかと思った。自分を開くことで自然との調和を求め、欲望をデザインし美へと昇華させる。この絵は、「観る人」と共に場として世界に向かって開こうとしている。深い開放感は、観る人を「空間思考」へと誘う。 環境問題を考えるときに、必ず人間の欲望を如何に制限するか、抑え込むのかということが議論される。しかし、人間の欲望は生の根源に関わるものだ。空間を創るのも欲望だ。人間の欲望を単に環境に対する悪と捉えるならば、人間を消滅させることがもっとも手っ取り早い解決法になる。実際、このような単純な考えを述べる人は少なくない。たしかに、このような発想が生まれる原因の根は、遠近法の様に深い。近代化は遠近法の様に、ある視点によって構成された空間の中をまっすぐに進む「進歩」という概念を歴史に持ち込んだ。しかし、未来の危機を回避するために必要なのは「進歩すること」ではなく、「変わり続けること」ではないか。だから、潜在性に向けて開いていくしかない。 わたしたちはいつから欲望に対する主体性、能動性を失ってしまったのだろうか。世界は数量化、規格化された欲望で満たされてしまった。欲望は大量に消費され捨てられていく。ただ、「欲望の消費」だけはデザインされているが。そして、人々の中に溜まった不満や後ろめたさ、諦めが環境問題にぶつけられる。欲望は新鮮さを失い、危機は深まるばかりだ。つまり、欲望をどのようにデザインするのか。それが、環境問題の鍵となる。 今は、ひとりひとりが欲望をデザインする生き方を求められている。それは、欲望の否定ではない。単なる抑制や管理でもない。自分を場として開き、もっと、欲望とダイレクトに向き合い、働きかけていく生き方である。「持つこと」から「在ること」の豊かさへと人間は変わることができるのか(エーリッヒ・フロム)。「生成の無垢」(ニーチェ)を取り戻すことはできるのか。 はじめに紹介した諏訪湖へは講演のために行った。テーマはやはり環境問題であった。わたしは話の締め括りに、人々にこんな提案をした。地球温暖化の防止などを呼びかけるよりも、皆さんが諏訪湖の御神渡りを見続けたいと言った方が何倍も力がありますよ。 |
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| NPO法人アサザ基金 代表理事 飯島 博 |