http://www.kasumigaura.net/mapping//index.html
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http://www.kasumigaura.net/mapping///A0970.html
午後の部は茨城大学学長による基調講演で始まり、途中、小休止に。その時間帯外に出て会議場周辺をぶらり散歩しました。人気の洋菓子店「コートダジュール」などが周辺にあります。
再び会場に戻りました。]]>
2024-01-04
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http://www.kasumigaura.net/mapping///A0971.html
2024-01-04
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http://www.kasumigaura.net/mapping///A0972.html
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http://www.kasumigaura.net/mapping///A0973.html
2024-01-04
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http://www.kasumigaura.net/mapping///A0974.html
さといもには土がつき、皮をむくのも手間がかかります。この道具がこの地域の農機具なのかはわかりませんが、父はこのような桶と芋をかき回す道具を使ってさといもを水洗いすると同時に皮むきまでしていました。貴重な記録でもあり、こちらにその記録画像を掲載しておきます。]]>
2024-01-04
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http://www.kasumigaura.net/mapping///A0975.html
2024-01-04
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http://www.kasumigaura.net/mapping///A0976.html
この日の天ぷらは川えび、シラウオ、いんげん。この取り合わせは私の実家の食卓の風景としてティピカルなものです。]]>
2024-01-04
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http://www.kasumigaura.net/mapping///A0977.html
この日2019/12/29は、両親を連れて神立のお食事処喜作であんこう鍋を楽しみました。実においしい。私は利き酒も賞味しました。鍋の最後は雑炊。あんこうの味が染みわたった雑炊はこれまた美味しい。
あんこう鍋、茨城の最高の美味ではないかと思います。]]>
2024-01-04
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農魂不滅
茨城県知事 竹内藤男著
出島東部土地改良区竣工記念
昭和60年2月吉日
出島東部土地改良区は、私の実家の田圃がある菱木川沿いの水田一円です。昔のままの水田が土地改良によりくねっていた菱木川は直線状に、くねくねしていた畔で区切られていた水田は画一的な長方形の大きな区画に変わりました。有史以来の農村の大変革であったと思います。しかし…
県知事の政策の手柄の記念としてこのような記念品が作られていたのでしょうか。この当時このような社会的な記念品の文化(慣習)があったことが物語られています。何とも、です。
そしてもう一つ何よりも重大なことは土地改良区のシステムが未だに温存され改善が全くなされていないこと。農業従事者が激減しているにもかかわらず、現在も私は土地改良区の維持管理費を支出し続けています。田圃を手放すこともできません。日本の農業が限界にまで来ています。しかし未だに農業再生の政策は何ら講じられていません。行く末が案じられます。
この記念品はそう考えてみると恐ろしいほどの記念碑的遺物です。]]>
2024-01-04
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http://www.kasumigaura.net/mapping///A0979.html
2023年はいわばルーチン化したこれまでの日常と異なり、ルーチン的状況から脱する契機となったささやかなターニングポイントの年でもありました。「四半世紀」経過がその背景にあります。
一つはその後新たに開発したデジタルコモンズクラウドサービス「d-commons.net」では、『マッピング霞ヶ浦*』のようなデータの蓄積、記事の累積に限界があること。自由度高くその都度記事を追加し「生涯学習ツール」となることにツールの意義があるわけですが、長い間、霞ヶ浦*周辺での滞在記録をコンテンツ化することを常習化してきたことを見直す必要性に気づきました。
2024年度初頭に投稿した若干の記事はそのささやかなアクションのチェンジです。
★〔07/01〕さといもの洗い方 [2024/01/04登録]
単発のトピックの投稿を久しくしなくなっていました。もう一つの見直しは、過去に撮影した膨大な写真、動画の記録の掘り起こしです。12月、「生涯備忘録」を作成し、過去に撮り溜めた膨大な画像の掘り起こしに着手しました。『マッピング霞ヶ浦*』に私がこれまで投稿したものは氷山の一角に過ぎず、載せていない未処理のデータが圧倒的に多いという状況です。これらをふり返り、私と霞ヶ浦*との関わりを見直しながら、『マッピング霞ヶ浦*』を私のライフログとしての意味、地域の記録アーカイブとしての意味を併せ持つマイポートフォリオ兼地域アーカイブとして集成していきます。これが今後に向けた方向づけです。]]>
2024-01-17