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鹿島神宮・神話と水のイメージ


分類: 〔00/01〕元日の水郷路・鹿島詣 地域: 鹿嶋市
(登録日: 2000/04/30 更新日: 2021/01/03)

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撮影日: 1998/11/22 鹿嶋市上空・鹿島神宮境内


鹿島神宮あって鹿島あり


「鹿島町にとって、鹿島神宮は歴史のはじまりであり、鹿島神宮なしに現在の鹿島町はありえないし、今や工業都市になりつつあっても、鹿島神宮が町の中心にあってこそ、あの緑の森が憩いの森となるのである。」
(鹿島町史編さん委員会編『鹿島町史・第一巻』、1972年、pp.21-22)

『鹿島町史』のこのくだりには驚きました。数ある市町村史の中にあって、客観性を度外視してここまで言わしめる鹿島神宮には、何物をも超越した力が宿っているのでしょう。

鹿島神宮の祭神・武甕槌神(たけみかづちのみこと)は、国土平定に活躍した軍神として知られ、武家や軍人の信仰を集めていました。防人の鹿島立ちでも知られています。鎌倉幕府、水戸徳川家が鹿島神宮を尊崇してきたことからも、鹿島神宮の位置づけがわかります。現代では、鹿島アントラーズが勝利を祈願するのが鹿島神宮であることも、鹿島神宮がこの土地の大きな支えであることを物語っているでしょう。『日本書紀』に記された武甕槌神(『古事記』では建御雷神)が、このように鹿島の中心に祭られていることの意味の大きさが改めて認識されてきます。
 


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撮影日: 1998/11/22 鹿嶋市上空・北浦と鹿島神宮の森


鹿島神宮に膠着する水のイメージ


神は自然の力の抽象化された姿であると言っていいでしょう。またそのために人の信仰と関わってきました。鹿島神宮は、鹿島台地の上、標高38メートルの高さにあります。霞ヶ浦*周辺を取り巻く常総台地(新治台地、行方台地、鹿島台地、…)は、この地域特有の特徴を成しています。鹿島台地は40メートル近い小高い台地が利根川河口域に向けて突き出るようにそそり立っています。

上の映像を御覧いただければ、鹿島神宮の存在が一目瞭然ではないでしょうか。国の重要文化財に指定された見事な鹿島神宮の森は現在もなお保全され、その周囲に鹿嶋市の町が広がっています。鹿島神宮の森には、この土地特有の谷津が入り込み、北浦と面しています。北浦に架かる橋は神宮橋(下)とJR鹿島線の鉄橋(上)です。古来はもっと水域が鹿島の森に迫り、人々は舟を手段として鹿島神宮に詣でていた状況を想像してみることができます。

近世の絵図には、水と鹿島神宮の森のイメージが描かれています。このような地形になるには何度も変化があったことが知られています。霞ヶ浦*周辺の台地が概ね20〜30メートル台であるのに対し、鹿島の台地は基盤岩層が隆起し、40メートル前後と、他の台地よりも一段高く、これも鹿島の神話イメージの形成に関わっていることが推察されます。火と水の神話は、隆起した台地と水(霞ヶ浦*、太平洋)に囲まれた鹿島にいかにもふさわしく、そうした地形を出現させた自然現象の力が武甕槌神という神によって表現されているというのは、一つの納得できる説明です。こうした鹿島の土地を実感してみようというのが、この企画の狙いの一つです。
 

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