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「さようなら鹿島鉄道」について


分類: 〔07/03〕さようなら鹿島鉄道 地域: 霞ヶ浦エリア
(登録日: 2007/12/31 更新日: 2021/01/03)

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撮影日: 2007/03/30


鹿島鉄道の廃線


鹿島鉄道鉾田線は2007年3月31日を最後に廃線となりました。この鉄道の前身、鹿島参宮鉄道鉾田線は1924年(大正13年)6月8日、石岡〜常陸小川間の営業を開始し、1929年(昭和4年)5月16日、石岡から鉾田までの全線が開通しました。経営者は関東鉄道などを経て、1979年以降は鹿島鉄道が経営していました。

廃線直前の3/30、鹿島鉄道に乗車し別れを惜しんできました。私個人は鹿島鉄道、愛称「かしてつ」より、鹿島参宮鉄道、略称「参宮線」に郷愁があります。参宮線は、当時の石岡の財力を背景に建設が進められ、鹿島神宮まで延伸される想定の路線でした。しかしながら、鉾田までが開通した1929年の世界恐慌によりその夢は砕かれ、結局、石岡と鹿島が鉄道で結ばれることはありませんでした。

この企画「さようなら鹿島鉄道」は、霞ヶ浦*エリアの交通手段としてこの地域に多大な貢献をしてきた鹿島鉄道の惜別の思いを、記憶が風化することがないよう、画像と動画で綴ろうというものです。なかなかこれに着手することができず、2007年中のページ作りは殆ど不可能となりました。せめてこの1ページだけでも2007年度内(しかも大晦日というぎりぎり)に作り、完成に向けてあきらめずに進みたいと思います。
 

参宮線の記憶


私は大学に入った後(1978年〜)、茨城は常に故郷としてあり、住まうところではありませんでした。1979年以降の「鹿島鉄道」「かしてつ」という名前には馴染みがなく、明らかにその前の世代の記憶をひきずっています。

私の実家があるかすみがうら市安食は、霞ヶ浦を挟んで玉造と対峙しています。対岸まで3〜4キロメートルはあるはずですが、空気の澄んだ冬にはゴトンゴトンという電車の走行音、また時々は汽笛が霞ヶ浦を渡って安食まで聞こえていました。参宮線と言って何をおいても思い起こすことは、その「響きとしての参宮線」です。電車が走っている様子は見ることはあっても、これまで不思議に参宮線とは縁がなく、2007/3/30まで乗ることがありませんでした。『マッピング霞ヶ浦*』でも以前から何度も採り上げてみたいと思っていたテーマだったにもかかわらず、最後の最後までそれができなかった不徳を責めないわけにはいきません。
 

参考文献


『さようなら鹿島鉄道』、2007/3、発行所:O.P.S.
 
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