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「霞ヶ浦と茨城空港」について


分類: 〔10/08〕霞ヶ浦と茨城空港 地域: 霞ヶ浦エリア
(登録日: 2010/08/16 更新日: 2021/01/03)

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撮影日: 2010/08/15 茨城県


「霞ヶ浦と茨城空港」の視点


自衛隊百里基地(小美玉市百里)が民間と共有になり、2010年3月、民間空港・茨城空港が開港しました。関東地方では、羽田空港、成田空港に続く第3の民間空港です。一方、空港は全国各地に整備され、茨城空港は98番目の空港になるとのこと。開港当時、赤字を生み出す空港を今さらつくるのは問題である、云々の風評を受けながら、定期便の他にチャーター便も就航している状況、観光客が数多く訪れる状況など、他の地方空港には見られない健闘が感じられます。

この特集「霞ヶ浦と茨城空港」では、2010年8月15日、霞ヶ浦から茨城空港をめぐった時の様子を縦軸に、諸々の話題を織り交ぜながら「霞ヶ浦と茨城空港」の関係をつづっていきます。風評はともかく、私がこの眼で見て、何が見えたか、どこに霞ヶ浦との関係があるのかなどをお伝えしていきます。
 

海軍から自衛隊へ


自衛隊百里基地があるから茨城空港が出来た、という因果関係です。ネットで「百里基地」を調べてみると、「百里飛行場」「百里原海軍航空隊」が芋づる式に引き出されてきます。

1937年(昭和12年)、百里ヶ原海軍飛行場が設置され、戦後は、飛行場跡が満州などからの引揚者の開拓地となり、1966年(昭和41年)、航空自衛隊百里基地が設置され、2010年、民間共用の空港となりました。

百里ヶ原海軍飛行場の設置と共に編成された百里原海軍航空隊は、太平洋戦争末期には特攻作戦に従事したという事実を知りました。

霞ヶ浦*周辺をめぐると、海軍と関わる場所が多いことに気づきます。海軍の中でも特に中核的な施設であった霞ヶ浦航空隊、土浦航空隊(予科練)ばかりでなく、百里原航空隊以外にも鹿島航空隊、谷田部航空隊などがありました。

太平洋、霞ヶ浦に隣接していることに加え、飛行場建設に必要な広大で平坦な土地が霞ヶ浦周辺にあったことがその立地の理由になるものと思います。
 

戦争は終わった


『戦争は終わった』(1967年、アラン・レネ監督)という映画があります。原題La guerre est finieは、半過去形で、この表現には「戦争は終わった。そして今も続いている」という意味合いがあります。そういう意味では、茨城空港が出来たことは百里原航空隊との因果関係があります。戦後65年目、軍事施設が平和的利用・民間利用に供されることになり、新しい戦後の時代を迎えた、と見ることができます。
 

地域的に連続した霞ヶ浦


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撮影日: 2010/08/15 茨城県



百里基地(茨城空港)と霞ヶ浦の湖岸との距離は約4kmです。戦闘機が離発着するのに霞ヶ浦の上空を通過し、周辺地域ではその折り、爆音を聞くことになります。この霞ヶ浦との近さをこの特集でお伝えしてみます。地域を車で移動していくと霞ヶ浦の世界から一転して茨城空港の異空間にスリップしていく印象を受けます。
 
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