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「〔11/05〕霞ヶ浦をめぐる」について


分類: 〔11/05〕霞ヶ浦をめぐる 地域: 霞ヶ浦エリア
(登録日: 2011/05/07 更新日: 2021/01/03)

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東日本大震災後の霞ヶ浦*


2011年3月11日に発生した東日本大震災で、東北地方は地震に加え、津波、原発事故による大きな被害を受けました。茨城県も少なからぬ被害を受けました。地震当日、私は上田で翌日3/12から開催する「インターネット時代のビデオ制作講座」を準備していました。数日、茨城の実家には電話がかからない状況が続きました。

それから数日経ち、被災地の状況がマスコミで伝えられるようになると共に顕在化した問題は、被災地であるはずの茨城の状況が伝わってこないという問題でした。このことはマスコミが津波の被災地と原発事故に主軸を移したということによるものだけではありません。むしろインターネット時代になり、誰もが情報発信者になれるようになってもなお、個人が地元・茨城の情報を発信していないという問題がより深刻であると私は受け止めました。

大震災後ガソリン不足が問題となり、車で行きようのない状況がしばらく続きました。4月に入り、大学の仕事も始まり、全く何の貢献もできないまま時が過ぎました。
 

私の目線での被害の確認


大震災後、私が茨城を訪れたのは地震から1ヶ月以上経った5月3日です。あまりに長い時間が経過しました。地元の方々が震災後の地元の状況を伝えないのであれば、私が現地へ赴いてその代わりをしたいと思いつつも、大震災と同時に深刻化したガソリン不足などが重なり、GWになってやっと私の目線で霞ヶ浦周辺の状況を見て回れるようになりました。
 

十年一昔を振り返る契機に


今回、霞ヶ浦*をめぐってみて実感したことは、大震災の被災状況もさることながら、10年という時間経過がもたらした地域の社会的劣化の状況、霞ヶ浦湖岸環境の変化です。このことは土浦市街に行って痛感しました。振り返ってみれば、『マッピング霞ヶ浦*』でグランプリをいただいたマルチメディアコンテストの授賞式が開かれたのが1999年1月のこと。茨城県南生涯学習センター併設のイトーヨーカード−が完成して間もない時期でした。市街地は当時よりもさらに人出が減り、駅ビル内も閑散としていました。さらには霞ヶ浦の湖岸環境が公共的な土木工事により様変わりしていました。

『マッピング霞ヶ浦*』の取材で私が霞ヶ浦*をめぐった1997-2000年頃の記録が「十年一昔」の歴史的証言と化してきました。今回の「霞ヶ浦*めぐり」は、それからの約10年後を新たに記録し、過去と比べる意義のあるものになっています。
 
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