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〔18/05〕下総武蔵の国境をめぐる


分類: 〔18/05〕下総武蔵の国境をめぐる 地域: 茨城県西
(登録日: 2018/05/27 更新日: 2024/01/17)

下総国北西部(古河〜関宿の辺り)


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「元禄国絵図下総国」(国立公文書館デジタルアーカイブ)から部分転載

県西・県境への視点


ゴールデンウィークの最終日となる5/6(日)、圏央道を経由して県西を探訪することを計画しました。この機会に訪れてみたいと思ったのが五霞町、古河市、渡良瀬遊水地です。

もう一つの関心は江戸初期における利根川の東遷です。暴れ川の利根川は江戸湾に注ぎ、江戸に洪水を招くため、銚子側の河口に利根川の奔流を付け替える工事がなされ、霞ヶ浦*はその影響で土砂の堆積が進み、内海から湖へと変貌をとげます。その河川付け替えポイントである関宿にはまだ訪れたことがなく、この機会に訪れることとしました。
 

国境と県境を接するエリアという視点


五霞町、古河市とも茨城県ではありますが、古い国は下総国です。常陸国ではありません。明治時代、利根川の北部を茨城県、南部を千葉県と県境の線引きがなされました。五霞〜古河の周辺は、武蔵国(埼玉県、東京都)、下野国(栃木県)、上野国(群馬県)が接する国の際エリアでもあったわけです。明治以後は県に再編され、茨城県、千葉県、埼玉県、栃木県、群馬県が県境を接するエリアとなっています。古い国境は現在の県境とほぼ重なっていますが、こと利根川流域に限ってはそうではありません。さらに県境確定後、利根川の河川の変遷により、県境と川筋は必ずしも一致しなくなり、現在の県境、市町村の行政界は非常にややこしくなっています。かといって確定した行政界が新たに引き直されることはありません。

国境、県境、市町村界と川筋が現在どうなっているのかをざっくりと見聞しました。
 

茫漠とした下総武蔵の国境


かつては下総国で現在茨城県に編入されたエリアは極めて広い。古代に引かれた国境線はかなり複雑です。現在の行政界や地形とは空ずしも一致せず、その見極めはかなりの熟練を要します。私自身、古地図と首っ引きでその境界線の確認をしました。

最も参考にしたのが「元禄国絵図下総国」(国立公文書館デジタルアーカイブ)です。古地図ながらデジタルマップなのでスクロールさせたりズームさせたりしながら村名や河川位置の確認がしやすいメリットがあります。

これを見ると国境線は驚くほどに複雑です。同時にこの地域一帯がかつての内海「流海」の痕跡を残した地域であることが感じられてきます。川筋、水域は20世紀に入るまで確定することなく変遷し続けたとみていい。

「元禄国絵図下総国」は下総国の国境線を見極めるための目安となります。地図記載の村名の多くが現在もなお大字として残っています。『県別マップル道路地図・茨城県道路地図』(昭文社)は大字などの区画が色分けされており、その境界線を国境とみなして線引きしていくと概ね本来の国境線に近似した境界線を引くことができます。ただし川筋などが境界線になることがあります。当面、地図上に線引きした境界線(国境線)を目印に国の違いを見極めることとしました。

そうした状況の変遷を現在の現地に訪ねてみることには興味が湧きます。下流域の霞ヶ浦*との相互作用があることも同時に視点に入れつつ探ってみたいものです。
 

関連サイト

☆元禄国絵図下総国(元禄9年、国立公文書館デジタルアーカイブ)

映像クリップ

(4件)
01 下総国北西部(下総国元禄) 02 関宿周辺(下総国元禄) 03 五霞町周辺(下総国元禄) 04 古河市周辺(下総国元禄)

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