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(L版)水位調整された水郷の人為的な水空間

分類: (L版)〔00/06〕水郷潮来あやめの旅
(登録日: 2000/07/10 更新日: 2009/01/10)

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汽水域・潮来への視点


建設省が一級河川「霞ヶ浦」と呼ぶ霞ヶ浦(西浦)・北浦・鰐川・外浪逆浦・常陸利根川(北利根川・常陸川)は常陸利根川(常陸川)を共通の河口部としており、その河口部に設けられた常陸川水門によって水の流通が制御されています。潮来周辺の流域はかつては海の満潮時には海水が流入する汽水域でした。外浪逆浦は海の波が遡って来る浦という意味で名付けられたと言います。また水戸藩主・徳川光圀は、水戸藩領の板久村を潮が来る村「潮来村」と改名し、汽水域である潮来の特徴を地名に表しました。海水の流入による流域の塩害防止、水資源管理を目的とする一級河川「霞ヶ浦」の管理は、水路が張り巡らされた水郷の構造を大きく変化させました。
 


霞ヶ浦と利根川の水位差


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撮影日: 2000/06/25 香取市(旧佐原市)扇島・大割閘門(閘室で水位差が調整される)



かつて舟で自由に往来ができた潮来と加藤洲は加藤洲閘門によって水路が隔てられ、この閘門によって水位調整をすることにより、舟の往来が行えるようになっています。この日、加藤洲十二橋めぐりの舟に乗り、水位調整を実際に目の当たりにしました。船頭さんの解説によると、常陸利根川の水位は閘門の閘室で利根川との水位差(この時は50cm)に調整されるということでした。

このことを少し整理してみると、一級河川「霞ヶ浦」は常陸川水門によって管理されて一定の水位が保持され、これと隣接する水域の新左衛門川(加藤洲十二橋の水路)、与田浦(与田浦川を含む)、大割水路などの香取市(旧佐原市)の水域は利根川と同じ水位に下がっているということになります。また常陸利根川上流と利根川の間をつなぐ横利根川はどうなっているのでしょう。常陸利根川と接する口には新横利根機場があり、この機場には水門が設けられていますが、この水門は常時開いています。ということは横利根川の水は常陸利根川→利根川という上流・下流の関係をなして水位差50cmを下っていくのか、横利根川が利根川と接する下流口の横利根水門によって高低差が調整されているのか、一体どちらなのでしょう。
 

水郷の構造を保持する水位差


かつて利根川を流れてくる土砂で埋まって陸地が現れて形成された水郷(主に香取市(旧佐原市)の利根川以北)は霞ヶ浦*と利根川の両方の影響を受けていたわけです。おそらく霞ヶ浦もかつては利根川とほぼ同じ水位で利根川下流へ、太平洋へと下っていたと見ることができます。しかしながら、水資源管理が行われるようになった後の水郷の流域は、霞ヶ浦の水資源の流域に組み込もうとすればその分水位を高くする必要があり、与田浦など長大な水路に全て護岸堤をめぐらして水害を防がなければならず、常陸利根川との結節点に加藤洲閘門、大割閘門などを設けることによってこの解決を図ったと見て間違いないでしょう。言い換えれば、霞ヶ浦〜常陸利根川の水位は自然の状態よりも高い水位にあるということです。霞ヶ浦*全体の水位が利根川とほぼ同じ水位まで下がった状態が本来の水位なわけです。このような視点から霞ヶ浦の水位の「人為的な」面からも捉え直してみることは、霞ヶ浦にまた違う認識を得ることができるように思います。そのような視点から加藤洲十二橋めぐりを風景を捉えて見ると、既知の水郷観が変わるかもしれません。
 
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