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(L版)〔98/08〕出島揚水竣功記念碑


分類: (L版)〔98/08〕出島用水をめぐる 地域: かすみがうら市宍倉
(登録日: 1998/08/29 更新日: 2009/01/10)

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撮影日: 1998/08/17 かすみがうら市宍倉・新生

「出島揚水竣功記念碑」の前に立って、初めてこの記念碑の文面に接しました。記念碑は、1966年に建てられた当時と同じものですが、礎が新しくなり、碑の裏面の文面が新しく張り替えられてありました。この新しい石の文面が非常に読み取りにくかったのですが、何とか採録してみました。簡潔ながら、出島用水をよく理解することができますね。これを読んで、現在の出島用水が「霞ヶ浦用水」の補償事業として整備されたことを知りました。句読点は私が補いました。

『出島村史誌』によると、1958年(昭和33年)、「新生開拓の西端から西成井の東端までの延長8,400メートルの用水路に、5月15日、土浦市手野の揚水機場から霞ヶ浦の水が送られた。」(同史誌、出島村史誌編纂委員会、p.69)と記されています。終戦直後から開発が進められた用水路ですが、結局のところは、揚水機場の完工を待たなければならならず、機場の完工からしばらくして出島の台地を用水が潤すことになったわけです。
 

出島用水事業の概要(「出島揚水竣功記念碑」から)


「昭和21年から39年にかけて、国営代行開墾建設事業が行われました。出島土地改良区設立発起人、戸谷義次氏初め、多くの先輩が心血を注ぎ、機場及び簡易水路を建設し、陸田へ用水を供給し、美田3百余町歩が完成しました。

近年老朽化が著しく、理事長坂本重道氏の時に霞ヶ浦総合開発事業の補償工事を取り込んで、揚水機場の牛渡移転新設と県営かんぱい事業により、排水路は地下パイプラインとなり、跡地は道路として地域発展のために供されます。

   昭和41年4月5日建之
   茨城県立笠間職業訓練所施工
   出島土地改良区 平成9年度改修」
 

映像クリップ

(10件)
01 記念碑全景 02 「出島揚水」 03 「出島揚水竣工記念碑」 04 新しい礎
05 記念碑の裏面 06 「霞ヶ浦用水事業の概要」 07 読みにくい碑文 08 「…平成9年度改修」
09 「茨城県笠間職業訓練所施工」 10 記念碑越しの風景

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