水田の乾田化と湿田の特性 = 伊藤一幸 =  米を食べるために太古の昔(弥生時代)から開田が進められた。最初は台地の縁に溜め池を作り、その下の凹地を平らにして水田化したであろう。これが谷津田である。谷津田は本来が凹地であるのでときには腰まで水に浸かる排水不良田である。灌漑は田越し灌漑で、通常日照りの年だと溜め池の水だけでは水不足になる。従って、水不足の排水不良田では米の生産にはあまり貢献しない。  水田は多量の水を必要とする(2,200mm/1作)。開田には用水路の掘削が欠かせない。大河川を堰き止め、延々と用水路を引いて台地を開田した。これはときの政府の一大事業であり、それぞれの地域の歴史書に詳しい。  第二次世界大戦後、農水省では基盤整備事業として大区画化と乾田化を展開してきた。この目的はイネに水が必要なときに入れられ、大型機械が入れるように排水を良くすることにあった。それに、排水が悪い水田は「秋落ち」といって水稲の根が腐ることによって生産が上がらなかった。このため、用排水路の分離、パイプライン化、圃場区画の方形化と拡大(畦畔の直線化)、農道の整備、暗渠工事の施工などが国、道府県、市町村、受益者が一体となって推進された。○○川土地改良事務所のように地域、集落単位で土地の形が変えられた。  この事業で最も大切にされたのが耕土と呼ばれる元々あった水田の表面の土で、別扱いされた。多くの水田では長年の稲作により鋤床層という粘土が堆積していて硬く、水を通さない層ができている。この層の上にある土は養分に富み、砂利を含まず良質の土壌である。区画を拡大するため、多くの水田は出来上がる田面よりも高いところを掘って低くした「切り土」部とその土を低地に盛り上げた「盛り土」部ができた。  暗渠工事は通常長辺方向に沿って5m間隔に、水田の地下50cm〜1mに溝を掘り、松葉、土管、籾殻などを用いて排水を図っていた。現在では、暗渠専用の管が開発されている。  畦畔は元来、草刈場として飼料、肥料として活用されていた。畦畔の大きさ形が規格化され、用水路、排水路はU字溝が使われた。効率化のみが追求され、畦畔に生えていた植物、水路に住んでいた魚、水生昆虫、カエル、イモリ、タニシなどについて考えられたことはなかった。  このような基盤整備が平地水田の大部分で終了した。したがって、宍塚大池の谷津田のように平地で残っている湿田は水を必要としている生物にとって欠くことのできない場所である。