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〔97/08〕府中城の土塁01

市指定史跡 府中城の土塁

分類: 〔97/08〕石岡・古代都市の面影をたどる 地域: 石岡市総社
(登録日: 1999/12/21 更新日: 2024/04/07)




石岡市総社一丁目・石岡小学校




「市指定史跡 府中城の土塁」



  所 在 地 石岡市総社一丁目2番
  指定年月日 昭和五十三年八月二十三日

 府中城は、正平年間(一三四六〜一三七〇)大掾詮国により築造されたといわれる。天正十八年(一五九〇)十二月大掾清幹が佐竹義宣に攻められて落城した。

 落城後は、義宣の叔父佐竹義尚が城主となり、慶長七年(一六〇二)佐竹氏の秋田国替後は、六郷政乗がこれを領した。その後元禄十三年(一七〇〇)松平頼隆が封じられ、この地に陣屋を置いた。

 城の規模は東西約五〇〇メートル、南北約四〇〇メートル、本丸・二の丸・三の丸のほか、箱の内出丸・磯部出丸・宮部出丸を備え、また、城・土塁をめぐらした堅固な城郭であった。現在では、土塁や堀の一部が残されており、当時をしのぶことができる。

 昭和六十年三月
  石岡市教育委員会
  石岡市文化財保護審議会

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