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宍塚大池と霞ヶ浦*

分類: 〔98/12〕土浦・桜川と宍塚大池 地域: 土浦市宍塚
(登録日: 1999/05/17 更新日: 2024/04/07)

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撮影日: 1998/12/31 土浦市宍塚


里山と霞ヶ浦*


霞ヶ浦*(霞ヶ浦、北浦、外浪逆浦、常陸利根川などの流域)を取り巻く広大な台地の存在が霞ヶ浦*の成立に関与していることは、『マッピング霞ヶ浦*』で探求したいと思っているテーマの一つです。では、霞ヶ浦*に注ぎ込む豊かな水の源はどこにあるのでしょうか。霞ヶ浦*にはいくつもの河川が流れ込んでいますが、台地に滲み込んだ降水が低地の上に湧いて川となり湖となって海に注ぐ。これが水の循環の簡単な図式です。

ところで、『マッピング霞ヶ浦*』では、陸から、湖上から、さらには空から霞ヶ浦*を捉えてきました。そこで改めて認識されてきたことは、台地の存在の割合の多さです。この広大な台地に滲み込んだ降水が谷津(台地の谷間)に湧き出し、この土地に独特な里山文化を形成してきたと言われています。人々は台地に暮らし、湖岸の低地に加え、里山の谷津を田圃として耕作してきました。里山の湧き水がその土地の農業を支え、同時に霞ヶ浦*の湖の水源となって、人と自然の共生を育んできました。里山はまた薪となる木材の採取場ともなっていました。これが里山の文化です。

「昔むかし、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。」と昔話で語られる物語がまさに里山の世界です。現代の生活では、芝刈りはしなくなったかもしれませんが、水の大切さと農業は今も昔も変わることはありません。川から桃が流れてきたり、竹からかわいい娘が現れたり、といった具合に、里山は日本古来の物語を育んでもきたわけです。
 

宍塚大池と霞ヶ浦


谷津田は、霞ヶ浦*周辺ではめずらしい風景ではありません。むしろ至る所に谷津田が存在し、現在も稲作などの農作に利用されています。しかし、機械化の進んだ現代の農業では、谷津田は耕作がしにくいことに加えて、減反政策、農家の減少、都市化の進行といった理由から、人が自然と共生する空間としての里山の環境が徐々に減少・崩壊しつつあることも事実です。宍塚大池の谷津田は、こうした里山保全のシンボリックな対象として社会的関心を集めるようになってきました。この背景に、宍塚の自然と歴史の会の地道な活動があることを知りました。私が初めて宍塚大池を訪れたのは1998年の大晦日です。この日の茨城新聞の一面トップニュースで、宍塚大池谷津田オーナー制の試みが報じられていました。宍塚大池はかねてから訪れてみたいと思っていましたので、この日、宍塚大池を訪れてみました。ここでご紹介するのは、その時の映像記録です。
 

宍塚大池についての詳しい情報は…


宍塚大池は、つくば市との境界にほど近い土浦市宍塚の丘陵地にあります。この里山のすぐ近くをK24(土浦市街と筑波研究学園都市を結ぶ幹線道路)が通っています。奇跡的に開発を免れた宍塚の里山としての環境は、学園都市にほど近いことも幸いして、意識の高い市民の皆さんによって保全の努力がされることになりました。農村に生まれ育った私から見ると、このような環境保全の取り組みは、古来から里山を当たり前のものとして受け取ってきた地元の人からは逆に発想しにくいものではないだろうかと思います。詳しくは、宍塚の自然と歴史の会サイト「緑の島 宍塚大池ホームページ」をご覧下さい。
 
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