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常陸川水門と霞ヶ浦の淡水化

分類: 霞ヶ浦*の歴史 地域: 神栖市
(登録日: 1997/08/25 更新日: 2019/01/07)

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常陸川水門はどこに?


撮影日: 1993/08/30 空の上から見た常陸利根川河口



この映像は、常陸川水門付近の上空から捉えたものです。常陸利根川が利根川に合流する河口、利根川大橋の常陸利根川部分に常陸川水門があります。常陸川水門は、霞ヶ浦の海水の流入を防ぐために設けられました。この水門は、霞ヶ浦*の歴史に深く関わってきました。
 

浅間山噴火による淡水化


霞ヶ浦の淡水化は、常陸川水門の完成によって、完全に人の管理下におかれるようになりましたが、それ以前にも淡水化の歴史がありました。歴史的には、度重なる浅間山と富士山の噴火が霞ヶ浦流域に火山灰を堆積させ、これが原因となって淡水化が進行したと言われています。特に、1783年の浅間山の噴火は大きく、この時、大量に降った火山灰が霞ヶ浦に流れ込み、さらに、江戸時代初期、利根川の河川が、江戸時代、江戸川から銚子に流れ出る現在の利根川に付け替えられたこともあって、利根川流域の土砂が霞ヶ浦河口に流れ込み、堆積して淡水化が進行したようです。
 

水害と塩害


霞ヶ浦は利根川河口を経由して太平洋に隣接しており、海水が流入しやすい構造になっています。また、霞ヶ浦の水の排出経路である常陸利根川の水はけの悪さが原因となって、大雨などの際に霞ヶ浦流域に洪水の被害をもたらしました。歴史的には、江戸時代以降、洪水を防ぐためのさまざまな対策が講じられてきたようです。昭和になってからも大洪水があり、霞ヶ浦流域に甚大な被害をもたらしました。戦後、常陸利根川の浚渫を行った結果、水はけはよくなる一方で、海水の流入による塩害が深刻になってきました。水稲にとって塩分は大敵です。霞ヶ浦に一度海水が入り込むと水はけが悪いことから塩分が霞ヶ浦に長い間、残留し続けることになり、農業に深刻な影響を及ぼします。この対策として、1963年、霞ヶ浦の最河口となる常陸利根川と利根川の間に常陸川水門が建設され、海水の流入が防がれるようになりました。
 

治水から水資源管理へ


逆水門とも呼ばれる常陸川水門の完成後、霞ヶ浦の水の流入は水門の開閉によって管理されるようになり、塩害は少なくなり、現在、塩害は起きていません。しかし、その一方で、霞ヶ浦の水ガメ化の弊害が新たな問題となってきました。1970年代から深刻化したアオコの異常発生などはその一例です。霞ヶ浦の水質汚染の原因は、淡水化と水ガメ化に原因があるとも言われていますが、原因はそれほど単純ではありません。

常陸川水門完成後、首都圏の貴重な淡水資源である霞ヶ浦の水の価値が見直され、農業用水、工業用水、水道用水として活用していくために水門は新たな役割を担うこととなりました。

現在では、霞ヶ浦の水資源は、治水と利水の2つの目的から管理されています。この水資源管理は「霞ヶ浦開発事業」として事業化され、営々と進められてきました。詳細は省きますが、この事業の一部を成す「霞ヶ浦用水事業」については、「水資源開発公団霞ヶ浦用水管理所」のホームページにも紹介されています。
 


このページは、主に次の文献を参考にしました。詳しくは、参考文献をご覧下さい。
(参考文献:『ひとと湖とのかかわり―霞ヶ浦―』、霞ヶ浦研究会編、STEP、1994年)
 
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