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霞ヶ浦の水運


分類: 霞ヶ浦*の歴史 地域: 土浦市
(登録日: 1997/08/25 更新日: 2021/01/03)

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古代駅道としての霞ヶ浦


現在の茨城県石岡市には常陸国府が置かれ、駅道が水域をまたぐ形で設けられていました。交通には、広域な入り海であった流海(ながれうみ、現在の霞ヶ浦、利根川などの水域)を横断するのが近道であるため、陸路以外に途中途中で流海を渡るルートが設けられたのではないかと想像します。流海をまたぐ地点は、石岡市高浜−井関の間、かすみがうら市牛渡−美浦村馬掛の間、竜ヶ崎市榎浦(当時は流海の榎浦だった)の3個所です。なぜ駅道が筑波山寄りの陸地ルートでなく、流海をまたぐルートになったのか、私は不思議に思います。古代駅道に関する詳しい研究を私は知りませんが、この駅道には新しい歴史的な発見の可能性があるのではないかと興味をそそられます。
 

東北・江戸間の水運で賑わった近世


近代・現代になって、鉄道と自動車が主要な交通手段となるまでの長い間、霞ヶ浦周辺の交通は、舟が主要な役割を担っていました。江戸時代に、利根川の下流が江戸川から現在の利根川に付け替えられて以来、利根川−江戸川は、東北地方と江戸を結ぶ重要な輸送経路となり、利根川沿岸には河岸が栄えることとなりました。水郷の拠点・潮来には諸藩の蔵屋敷が建ち並び、舟運で賑わったと言います。
 

近現代:舟運から陸運へ


撮影日: 1997/05/05 土浦市街(舟運時代の面影)



近代に入ってもなお舟運は栄えました。茨城県土浦市街、石岡市高浜、千葉県香取市(旧佐原市)街などを見ると、当時の繁栄が偲ばれる古い屋敷、雰囲気がわずかですが、まだ残っています。物資の輸送には、帆を張った高瀬舟が用いられたと言います。『霞ヶ浦風土記』(佐賀純一編、常陽新聞社、1995年)には、高瀬舟時代の思い出を語る古老の話が収録されていて、当時の状況を垣間みることができます。

このように隆盛を誇った舟運は、常磐炭田から石炭を京浜地区へ移送するために開設された常磐線によって、次第に陸路中心の交通へと移行していき、舟運の時代は終わりを告げることとなりました。
 

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