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ビデオアルバム・備忘録

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(登録日: 1997/01/09 更新日: 2023/01/03)

はじめに


つれづれなるままに、発見したことを記憶に留めておくためのページです。研究のための私的なメモ書きですが、皆さんのご参考にでもなればと思い、公開しておきます。
 

HandyCamの実力差


[97/03/30]
SONYのHandyCamの登場は、多くの個人がビデオという新たな記録手段を手にしたという点で画期的なメディア革命をもたらしたと言えます。ビデアルバムの実現も、その恩恵を受けたものと言えます。

ところで、『マッピング霞ヶ浦*』の映像は、私が8ミリビデオを使い始めた1990年8月以降、HandyCamで撮ったビデオデータが素材となっています。この間、ビデオカメラは、TR55→TR75→TR2&3と変化し、記録メディアもVideo8からHi8へという変化がありました。このメディアの変遷でいくつか気になった点があります。

初期のカメラTR55
1990年8月の映像のみ、TR55で撮影しました。このデータをデジタイズすると、画質が悪く、江戸時代の着色写真を見ているような感じさえ受けます。

2代目のカメラTR75
1990年11月以降はTR75で撮影しました。これは、TR55に比べ、発色がよく、Video8ながら最も満足できる画像が得られています。

Hi8のカメラ
Hi8は、Video8よりも解像度が高く、高画質を保証されているように思いますが、デジタイズ後の静止画の鮮やかさがなく、くすんだような質感になります。さらに、ズームインがデジタルで擬似的に処理されるため、ズームイン画像は使用に耐えません。一体、これは何なのだろうというのが、経験的に感じている問題点です。

ビデオボード
デジタイズの質は、ビデオボードの影響を受けますが、これまでMacintoshに標準装備のビデオボードを用いてきました。経験的には、RasterOpsの方が良好な画質が得られるように思います。

デジタルビデオカメラへの期待
以上のとおり、必ずしも高品質のビデオデータが、デジタイズ後の品質保証につながらないという問題は残ります。今後は、デジタルビデオを直接コンピュータに入力することにより、どの程度、画質の保証が行えるのかを評価してみる予定です。
 

さすがに実感した自動生成の威力


[97/02/18-24]
ホームページ開設の翌月(97年2月)、128件(2/24現在)のデータ投入を試みてみましたが、さすがにページ自動生成の威力を実感しました。誰でもコンテンツさえあれば、それをすぐにでもホームページへ公開したいと思うわけで、途中の面倒なHTML化の作業はパスしたいものです。何と言っても、インデクシングのやり直しが不要な点、レイアウトの変更が容易な点にそのありがたさを感じます。

ツールの汎用性を高め、データベース更新をCGIを通して行えるようにすれば、かなり実用性の高いシステムに進化させることができるのではないかと思います。データ件数が増えてくると、データの一貫性のチェッキングと更新パターン(追加・変更・削除)のサポートがより重要度を増してくることも感じます。

同時に、素材作成と素材管理の省力化が図れれば、申し分なしというところです。これは、まだ自動化にはほど遠いのが現状です。素材作成の自動化がおそらくビデオアルバムの実用性を高めるために最も重要な研究課題になるものと思います。「ビデオアルバム」の先行研究「動画像データインデクシングパラダイムの開発」で、ビデオからのショット変化点検出法については研究しましたが、抽出したショットからの最適フレームの摘出法は今後の課題となっています。
 

写真の記録で使えるものはなし


[97/01/28]
写真、これは人を撮るためのメディアという、かなり強い意識が、被写体を極めて制限していることがわかりました。ビデオアルバムを始めて、ビデオ画像という素材が持つ、さまざまな可能性に触発され続けているわけですが、写真アルバムから使えそうな素材を探してみたところ、殆ど何もみつかりませんでした。殆ど全てが人を写してあって、かなり具合悪い感じです。非常に身近な人々、家族と何らかの関わりのある見知らぬ人々が多数記録されていて、プライバシーの問題もあるので、これじゃ公開できないなと。

それ以上に、見せたいものがないというのは、何とも寂しい限りです。写真とは一体いかなる記録的役割を果たしてきていたのかと。個人的な歴史にポッカリ穴が空いたような感じがしています。

個人的なものを記録するメディアであるビデオと写真を比べると、この違いはあまりに大きいと感じざるを得ません。画質の差で言えば、写真の優位は明らかですが、被写体に魅力がなければ何ともはや…。ここでも、改めてビデオの優位性を感じてしまったような次第です。
 

個人の記憶から歴史が見えてくる


[97/01/12]
出版された○○史というのは、どこの土地にもあり、貴重な資料となっています。かすみがうら市(旧霞ヶ浦町)の場合には、『出島村史』があります。しかし、客観的な視点で書かれた歴史には、どうしても漏れていく情報、記録されない情報がいろいろとあるものです。そうした情報のないことが、結構、その時代を生きてきた個人と記録との距離感を作り出しているように思います。まるで他人の事のように歴史を捉えてしまうのは、そうした個人と歴史との乖離に原因があるのでしょう。

ところで、フランス語で物語と歴史は同じ概念histoireで表現されますが、個人史的な意味でのhisoireは、同時に、新たな歴史認識のソースとなり、その総体が新たな歴史の生成手段となっていくのではないかと思います。『マッピング霞ヶ浦*』は全く主観的な記録を堆積させているだけですが、ここからも新たな「物語=歴史」が生産されつつあるのを今さらながらに感じています。Webで、もっと多くの人がこうした個人史を公表していくと、これまでにはなかった歴史の掘り起こしに貢献していくのではないかと思うのですが。
 

個人データベースの方向性は「徒然草」か


[97/01/09]
ビデオアルバムの当初の構想は、ビデオ画像から取った画像をWebページ自動生成の仕掛けにともかく放り込んでいけばデータベースができるというものでした。しかし、実際に始めてみると、結構思い入れ意識が強くなり、画像の取捨選択に手間暇がかかるばかりでなく、素材(=ビデオ画像)をいろいろに編集加工したいという欲望にかられるようになりましたね。それぞれに一言コメントを付けずには公開したくなくなりました。「徒然草」もどきのデータベースに変貌したのは、そうした理由からです。

同様に、アウトプットのレイアウトなども、その都度、感興のおもむくままに変更したくなってきました。ビデオアルバム試作版「マッピング山形」(未公開)では<1ページ=1画像>の定形フォームを用いましたが、もっと構造的には複雑さを許容する方がよさそうです。こうした変更をしやすくする点でも、直接HTMLで記述しないこと、ソースをデータベース化することの重要性を再認識しました。
 


[97/01/28]
後日談ですが、この点は改善しました。しかも、こうした恣意性は構成パターンの数を増やすことで、実に簡単に解決することがわかりました。
 

ビデオソースと画像合成の威力


[97/01/09]
『マッピング霞ヶ浦*』を始めて、まず発見したのは、フォトレタッチングの威力というか、その呪術的魅力です。単なるビデオ画像が、非常に魅力ある画像に変貌するのが非常に面白くなりました(これも、思い入れがいろいろと作用するからでしょう)。

レタッチングというよりは、<動きの分解=合成>、<パノラマ景観の合成>により面白さがあります。また、そうすることによって、画像に内在する情報の価値を高めることができます。これなどは、撮りたいものを取捨選択の意識なく撮りたいだけ撮れるビデオがソースであることの威力と言えるでしょう。アナログ写真、デジタル写真では、撮れるコマ数の制約が大きく、こうした画像の選択はあり得ないでしょう。これも、「ビデオアルバム」の有効性を証すことになったと思います。

<動きの分解=合成>の例:「カイツブリ、水にもぐるの巻
<パノラマ景観の合成>の例:「91年9月の大雨・霞ヶ浦編
 

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