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霞ヶ浦*への視点

分類: 霞ヶ浦*への視点
(登録日: 1998/01/06 更新日: 2024/04/07)

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撮影日: 1997/08/16 稲敷市(旧東町)本新(元は霞ヶ浦流域だった本新島干拓地)


教科書的知識を超えた理解を


霞ヶ浦は、日本で二番目に大きな湖として説明されるのが通例かもしれません。確かに、この説明は間違ってはいませんが、八郎潟が干拓されるまで、長らく日本第三の湖であったことは、こうした客観的な事実でさえ、「その時点では」という条件が付くことを示しています。このことは、干拓という人為的な操作によって、日本の国土は容易に変わりうることを示してもいます。霞ヶ浦も干拓が行われ、流域面積を狭めてきました。もう少し干拓が進行していたら、日本第二の地位はサロマ湖に譲っていたかもしれません。現在、治水と利水の目的から霞ヶ浦は、人為的に管理されています。霞ヶ浦のこうした社会的・人為的な側面は、私たちに多くのことを問いかけています。教科書的に「日本第二の湖」と霞ヶ浦を覚えるだけでなく、その背後に隠れているさまざまな問題を発見し捉えて欲しいと思います。私は、この『マッピング霞ヶ浦*』で霞ヶ浦*の湖際(インターレイク)という特性に着目し、探訪を進めています。
 

社会の鏡としての霞ヶ浦


霞ヶ浦は湖にして湖にあらず。あえてこのようなテーゼを提起することにしましょう。霞ヶ浦の周辺には、昔から数多くの人々が暮らし、この地域独特の社会が形成されてきました。人口の増加、都市化の進行と共に、人々と湖の関わりはより密接に、そして深刻なものになってきたと言えます。首都圏から最も近い大きな湖であるという地理的条件も、霞ヶ浦に大きな影響を与えてきました。霞ヶ浦の水資源は完全に人間の管理下におかれながら、その一方で水質汚濁、生態系の変化など、未解決の問題を引き起こしてもいるわけです。霞ヶ浦を社会の生きた鏡として捉えると、そこにはまた新しい発見があります。そうした発見を、人間の叡智として育て、広めて欲しいと願っています。
 

未来につながる霞ヶ浦と周辺地域


地域と湖は密接に関わってきています。地域は湖から多くの恵みを得、地域文化が形成されてきました。霞ヶ浦周辺の地域は、同質性を持ちながらも、広大であるが故の差異も生んでいます。また、霞ヶ浦周辺地域は、首都圏の大いなる辺境の地でもあります。高度経済成長期に開発から取り残されていたということは、この地域の未来にとっては、むしろプラスの面で捉えられるものです。既に多くのものが失われ、また変質しましたが、それでも、高度経済成長の一翼を担った国内の他地域に比べれば、豊かな資源が残されたと言えるでしょう。『マッピング霞ヶ浦*』の相当のページ数は、この再確認のために割いているといっても過言ではありません。現在の霞ヶ浦から何を学び、未来に向けて何をしていけばよいのかは、私たちに委ねられているわけです。
 
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