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辺境「霞ヶ浦*」

分類: 霞ヶ浦*への視点
(登録日: 1998/12/07 更新日: 2024/01/17)

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辺境「霞ヶ浦*」


霞ヶ浦*の周辺地域を辺境と呼ぶことは、地元の方からお叱りを受けそうです。しかし、地域分散の考え方が見直されつつある今日、辺境という言葉は、新たな価値を派生させる肯定的な視点となります。

「際」に霞ヶ浦*の特性があるとこれまで指摘してきました。「辺境」は「際(きわ)」と通じる概念です。辺境の地という視点で霞ヶ浦*の周辺地域を認識してみることは意味があると私は考えています。近代に入って、交通手段が舟運から陸運に変わったことにより、湖はその障壁となり、さまざまな社会的発展を阻害する要因へと変わりました。この地域が首都圏の大いなる田舎と呼ばれてきたことは、今日の視点からは、いろいろと考えされられる地域発見のヒントを含んでいます。
 

琵琶湖と霞ヶ浦*


多くの人々が暮らし、人と共生してきた湖としては、霞ヶ浦*はおそらく琵琶湖に次いで国内第二の位置にあるのではないかと思います。干拓が行われるまで日本第二の湖であった秋田県の八郎潟は、琵琶湖、霞ヶ浦*に比べると過疎な状況にあります。

では、琵琶湖と霞ヶ浦*の違い。これは何でしょうか。それは歴史的な古さ、そこに形成されてきた文化の洗練の差だと言えるかもしれません。古代日本の中心地であり、条里制による都市計画が施された地域です。京都(平安京)が都になった後も、京都に近かった琵琶湖は古くから京文化が伝承された地域でもあり、地域社会の成立の古さとその文化的洗練において、霞ヶ浦とは大きく隔たった印象を受けます。近世に入り、江戸との物資輸送の要衝の地となっても、江戸は遠く、江戸文化の影響は、琵琶湖の京文化の影響に比べれば小さかったのではないかと思われます。地域的な文化が形成されていくのはどちらかと言えば近世以降であり、この点、琵琶湖の歴史の古さとは比べられません。洗練が少ない。これは私が現在の霞ヶ浦周辺をめぐって受ける印象の一つです。
 


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撮影日: 1998/11/22 潮来市永山・霞ヶ浦湖岸(湖岸の集落)


釣りスポットとしての霞ヶ浦*


釣りブームを背景に、東京や埼玉など首都圏の都市部から多くの釣り客が霞ヶ浦*を訪れるようになりました。首都圏の大いなる田舎という死語が、釣り客到来によって復活してきました。ここにも「辺境」の構図が見られます。これについては、機会を改めて述べることにしましょう。
 

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撮影日: 1998/08/16 行方市橋門(釣り客の多い霞ヶ浦湖岸)


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